同志会組織イメージ図

 同志会の組織図を 私の頭の中でイメージしてみました。三役さんを中心として、各部・各班が一丸となって、情報の共有・議論・伝達を重ね、技術の向上・習得を目指し頑張っています。生産部は、農場の管理、高品質みかんの生産を図ります。情報経営部は、生産者に生きた情報、確かな情報を伝える部であり、情報誌の作成、ホームページの作成を担っています。青年部は、満30歳未満の未婚の青年によって、形成され、基本技術の習得、女子青年との交流を通じ、将来に向けた経営者の育成を目指して頑張っています。

 

各班では、いろいろな特性を生かして、各農場の管理、研修旅行などを行い、会員一同の親睦を深めています。

 

そして、何よりも、みかんの躍進のために、まごころ込めて、日々努力している団体です。

 

昭和37年 同志会発足

 

昭和37年4月頃の同志会は、一応組合員を対象とし、生産部長が責任者と裏表一体となった活動をして来た。

 さかのぼって同志会の誕生を考えると、戦後の荒廃園の復興に重点を置いて、其の為の技術的施策の研究実行に努めて来たのであったが、一応其の目的も達し、技術的指導体系も県から郡、各支部から末端農家まで整備されて、同志会の技術指導の面での役割が軽くなったと言える。元来、同志的結合を健前としながら網羅的な組織の矛盾から再編成の世論が興り、37年4月希望者だけをもって結成し38年現在会員は、200名でかつての青年同志会の青年の字句を削り下は学校を出たばかりの若手から、可なり年配の人まで各層にわったて構成されていた。

 我々が役員に選ばれて先ず考えた事は運営の基本方針をどこに おくかであった。技術指導の面では生産部との間の話し合いで、指導面の二元化を避けて同志会は只それに協力応援すると言う事にした。組合を親として出生した同志会ではあっても、其の運営には独自の個性がなければならないと考え、38年の事業目標を主に1・組織統合の問題(農協と柑橘組合の統合について)2・共同防除問題。我々役員の常に心配している事は、一般会員との意志の疎通が充分であるかという点である。  (柳沢多平氏『断想』より)

同志会発足の頃

 

 同志会の体制が、推進班体制に切り替えられて独自の活動がしにくくなったため、浦之谷推進班を中心とした会員の中から「独自の体制を」との声が出始め、生産委員会の場で、その意志を伝えるが当初は 、聞き入れられず、委員会のたびにお願いを続けたところ、発起人を 出しなさいということで、柳沢多平氏、阿部庄二氏、楠本熊雄氏、村田一郎氏、楠本三二郎氏以上5名の発起人他数名の役員が母体となった新生同志会が誕生した。ちなみにこの時部制をしいた役員だけの会ではだめだ、ということで班活動も取り入れ、会員皆の活動が出来る体制が作られた。また県の施設を利用して専門の先生を講師に招き勉強する一夜研修・市場へ調査に行ったおりに、元竹中西宇和青果専務が市場におられ、氏より特筆した産地が各地にある事を教えられ産地の視察が始まり、この時に福岡県山川農協の地帯区部があり、真穴への地帯区分の取り組み、当時200m以上1週間ハサミ入れを遅らす形からスタートした様である。

(楠本三二郎氏・阿部庄二氏追想より)

同志会員の人数の推移を年代ごとに、表してみました。少子高齢化の影響もあるのでしょうか・・・24歳から45歳まで、38名 楽しく、時には熱く、活動していきましょう。必ず 未来を切り拓いていく 原動力になるはずです。同じ志をもった士達よ頑張ろう!!

今年度の役員会で、23年度活動方針、活動計画が立てられました。また、今年度は同志会設立 50周年の節目でもあり、記念事業の内容についても議論を重ねております。同志会員一人、一人の力が大切です。とにかく、失敗を恐れず、前向きに進むことが躍進へと繋がると確信しています。真穴だけではなく、西宇和、愛媛県が元気になるよう、その原動力となる同志会活動を盛り上げていきましょう。最期に やってよかったなと 笑顔になれることが一番だと考えます。 梅ちゃんの切実なる思いです。